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祝ボリウッド映画デビュー20周年 デビュー作 Deewana [Acting & Performing]

このところの投稿は「祝」づくしですが…今回もおめでたい話題です。

1992年6月25日、シャー・ルクにとっての初めてのボリウッド映画、Deewanaが公開されました。実際に最初に撮影に着手したのは、ヘーマ・マリニー監督のDil Aashna Hai で、ほぼ同時期に日本でも公開された「ラジュー出世する Raju Ban Gaya Gentleman」にも出演。完成はそちらが先だったのですが、公開日はDeewanaが最初だったので、シャールクのデビュー作はDeewanaとされています。

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この映画で、彼は長い映画のインターミッションの後に初めて登場します。ムンバイのマリンドライブをバイクに乗ってVinod Rathodの歌う"Koi Na Koi Chahie"「誰か現れてよ」を歌いながら…。



茶色い革ジャンにジーンズ、白いTシャツのシャールクは、オフロードバイクを仲間たちと楽しげ(ちょっと笑えるアクションシーンも)に乗り回しますが、歌詞の内容は「誰か僕と恋をしようよ。一緒に死んでもいいくらいの…」というもの。そしてそれが暗示するように、歌の最後に若く美しい未亡人と出会ってしまいます。

この映画の主人公は実際のところ、往年のアイドル、リシ・カプールなんですが、40歳を過ぎて太ってしまい、ロングヘアーにカラフルなセーターを着て頑張ってはいるのですが、ディヴヤ・ヴァルティ(後に若くして事故死)という20前後の女の子の恋愛対象になるには、どう見ても無理がありました。なので前半はかなり厳しいのですが、それだけに後半シャールク登場からがぜん面白くなります。

これを初めてスクリーンで見た大衆は、最初は新人の登場を興味深げに見ていたのですが、歌が一曲終わる頃には、すっかりシャールクに魅せられ、映画館が歓声であふれたそうです。「誰か僕と恋をしようよ」と歌って登場したシャールクに、皆恋をしてしまったのです。苦おしい恋、果敢なくどき、アクションから母親への思慕に至るまで、後にシャールクを有名にする情熱的な演技が後半にぎっしり詰まったこの映画は、デビュー作にふさわしいものだったかもしれません。シャールクはこの映画でフィルムフェアデビュー賞を勝ち取ります。それから20年、デリーからやってきた、このえくぼの魅力的な小柄で色黒の俳優は大衆に愛され続け、Baadshah of Bollywood ボリウッドの帝王とまで呼ばれるようになったのでした。


タグ:Deewana 初期

祝コルカタ・ナイトライダーズ優勝!! [Passion]

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5年前にジュヒとともに共同オーナーとなったクリケットチーム、コルカタ・ナイトライダーズことKKRが、今年初めて優勝!人気だけは絶大だけど、実力が伴わず、これまで優勝には絡むことさえほとんどありませんでした。しょっちゅう負けては観客席のSRKのがっかりした顔が大写しになり、見るもいたましい程。


9:38
"We feel really sad. We feel immensely sad. But we don't show it to the world. And we don't deride the team. We believe next day to play better." 「本当に悲しいよ。ものすごく悲しい。でも世間にそんなところ見せないさ。それにチームをあざけったりもしない。明日はもっといい試合ができるって、そう信じているんだ。」


9:52
"I think the best part of KKR has been it has taught my children the value of defeat and victory. I think they will learn more patience. You know how kids are. They just think everything is hunky-dory and you can win every time you go But I think we take it very personaly. We cry when we lose. " 「KKRの一番いいところは、子どもたちに敗北と勝利の価値を学ばせたことだ。子どもたちは忍耐をもっと学ぶはずだ。子どもってどんなかわかるだろう。何事にもむやみに自信満々で、いつだって勝てると思っている。でも僕達感情的になってしまうんだ。負けると皆で泣くのさ。」


そんなSRK一家なので、KKRの優勝は本当に嬉しかったはず。

どこぞのスタジアムでタバコを吸っているところを撮影され、裁判所に呼び出しくらったり(有名人は公共の場でタバコを吸ってはいけないらしい)、「ベンガル人が5人しかいないチームがコルカタのチームと言えるのかと揶揄されたり、相変わらず論議を呼ばずにはいられないSRKなんですがね。
5年目の優勝で、はらはらして見守ってきたファンとしてもほっと一息です。

祝!映画ラ・ワン日本公開! [Acting & Performing]

昨年9月から更新していなくてすみません。仕事がすごく忙しくなって、SRKウォッチングも最小限、ブログにまとめるまでには至りませんでした。それなのに、毎日見に来て下さっている方々もおられ、本当にありがたいなと思っています。WOWOWで何度か「マイネーム・イズ・ハーン」が放映され好評を博しているようだし、少しずつシャー・ルク認知度が上がってきているのかな。

この間Ra. Oneはそこそこの収益を上げ、直後Don2のかっこ良さに人々は再びシャー・ルクにしびれ、今はカトリーナ・カイフとのロマンス映画の撮影が行われています。Veer Zaarではプリーティ・ズィンタと、そして、Dil To Pagal Haiではマードゥリー・ディークシトとの胸焦がす恋物語を撮った大ベテランのヤーシュ・チョープラ監督作。DDLJやMohabatten, Rab Ne Bana Di Jodiのアディティヤ・チョープラ監督のお父様です。親子してシャー・ルクに恋を語らせるのが上手い方々。ぜひともSRKには久々に、キング・オブ・ロマンスの本領を発揮していただきたい。
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そしてそしてそして!「ラ・ワン」Ra.One日本正式公開!(邦題カタカナだと何か木材みたいで…。)
ここを覗かれるような方は、DVDで既にご覧になったかもしれませんが、ビッグスクリーンで見るのはやっぱり違いますよ。嬉しいノーカット字幕付き!1円試写もまだ間に合うかもしれないので、取り敢えず載せておきますね。私は明日参ります~。

http://www.uplink.co.jp/raone/

シャー・ルクも少しずつ年取ってきて、今さら日本でブレイクしても…という気持ちがないでもないですが。映画が見やすくなるといいなと。それだけを願っております。配給はPARCO。ヒット祈願。


Ra. One サウンドトラック公開 [Songs & Scenes]

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新作映画Ra. One の公開まであと1ヶ月になり、インド国内では期待感が高まっています。エイコンが歌うChammak Challoのリークが大ヒットしてかなり経ちますが、先週ようやく公式サウンドトラックが発売になりました。発表の2日前には全曲がネット上で出まわってしまうという恐ろしいインドの海賊版業界です。シャールクもtwitterで嘆いておりました。
How sad it is that someone somewhere has no regard for our labour of lov.5 yrs of work & they put it on net so callously. Extremely sad... 10 Sep(どこかの誰かが僕達の仕事を軽んじていることが悲しいよ。5年間精魂込めて創った作品がごく無造作にネットにアップされてしまったんだ。悲しくてやりきれない

正規版が発売された今、違法ダウンロードが無くなることを願います。日本でのCD発売は厳しいでしょうが、既にitunesでオフィシャルに買えます。15曲入り1500円とお買い得。もっともその内5曲はChammak ChalloとそのREMIXですが。

Chammak Challoクセになります。エイコン好きではなかったですが、この曲大好きです。
以下ミュージック公開時のプログラム。長いですので時間のあるときにどうぞ。

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(Akon) Gotta get the pronunciation right. Have to be believable. (エイコン「発音完璧にしないと。ちゃんと本当らしく聞こえないとだめだから」)


と頑張っただけあって、インドの人たち皆エイコンのヒンディーの発音には非常に満足したみたいです。


15億円?もの制作費をかけたRa.Oneですので制作費回収だけでも大変。、ブロックバスターになるにはよほど売れないとだめです。プレイステーションのゲームやマクドナルドのハッピーセットなど(全部インドの話です)、様々なタイアップ商品やPRで話題性は十分ですが、何と言っても映画自体の成功が必須。

人事を尽くして天命を待つのがいつものSRKですが、同じように全身全霊をかけた野心作「Ashok」が不入りで損害をだした過去を思い出し、「あの映画はいま見ても我ながら気に入っているんだ。なぜヒットしなかったのかわからない。だから少し不安だよ]とナーバスになっている様子も。

Chammak Challo プロモーションビデオ
Criminal プロモーションビデオ
Dildara プロモーションビデオ

【14】シャー・ルク・カーン物語 [シャー・ルク・カーン物語まとめ]

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スポーツに、学業に、友情に彩られたシャールクの学生時代ですが、男子校だったせいか、幼児期と裏腹に女の子との縁はほとんどありませんでした。「ガウリはいつ出てくるの!」とジリジリしておられることと思いますが、ハダム先生への淡い憧れ以外のロマンスは、もうしばらく待っていただかなければなりません。

友人たちの中で、特に親してくしていたのは、次の4人です。

◆アショーク・ヴァサン…幼稚園からシャールクと一緒。現在はシンガポール在住でエレクトロニクス関係の会社の支社長ですが、学生時代は教室でいきなりビージーズを歌い出したりしたことも…。
◆ビカーシュ・マトゥール…童顔ながらすぐカッとなる熱いヤツ。テストの小論文が得意で、皆が一行くらいしか書けないのに、ヴィッキーは裏にまでびっしり書いてギャングたちを呆れさせていました。現在はソフトウェア大手のヨーロッパ支社長。
◆ラーマン・シャルマー…温厚だが、恐るべき伝染性の笑いを持つ男。父同様にパイロットになりました。
◆ヴィヴェイク・クシラーニ…かっこよくてお金持ちで、女の子にもてもて。C-ギャングメンバーの兄貴分的存在。今は親からの製油会社を継いでいます。

一番の親友はアショーク。幼い頃の運動会では、圧倒的速さで一番を駆け抜けたスポーツ万能のシャールクなのに、アショークが来るのをゴール前で待って、一緒にゴールインしほどの仲良しでした。自分でもすっかり忘れていたのに、息子のアルヤーンが幼稚園の頃、同じ事をしたのを見て思い出したそうです。

5人は悪さもしました。例えば新任の先生の授業が退屈になってきた時、シャールクが、今に通じるオーバーアクションでもって、「ううううう う、ああああ、ぐぐぐぐ」と急に悶絶し、ばったり倒れます。オロオロする先生に仲間たちがすかさず、「彼、てんかんの発作を持っているんです。」と説明して、4人でシャールクをかついで教室からとんずらする…という手はず。そのまま仲間たちに運び出され、後は芝生に寝っ転がって自由を満喫しました。

あるとき、いたずらものが 「靴の匂いを嗅がせると治るって言いますよ!先生、どうかこいつの命を助けてやってください!」と先生に靴を脱がさせます。シャールクは先生の臭いスエードの靴の匂いをかがされながらも、目を開けるわけには行きません。先生はその日一日中、片足でぴょんぴょんはねていたそ うです。

12年生の頃、映画「グリース」に出てくるジョン・トラボルタのチーム、Tバードに刺激を受け、いつもの仲間たちとグループ、C-Gangを 結成しました。C-gangのCは、彼らのクラス名とCoolのCから取りました。わざわざパウチしたメンバーズカードなんか作ったわりには、特に何をするでもなく、ただつるんで背伸びして「Yo, Hang Loose!」とか何とか口走っていきがっていただけみたいです。

裕福なヴィヴェイクの父親がアメリカで買ってきた揃いの白いシャツに、自動車のエンブレムで作ったCのスタンプを押したもの、ブルージーンズにナイキのシューズがユニフォームでした。あの頃ナイキのシューズなんて、インドではすごく高価だったはずなので、皆結構なお坊ちゃまだったっんでしょうね。母ファティマも無理して買ってやったのでしょうか。

この5人は、今もシャールクの心の支えみたいです。忙しいので連絡を取れないことも多いけれど、会えたらその瞬間に通じ合える関係。お正月のカランの番組で、シャールクは「僕には友人はいない」という孤独な心情を吐露しましたが、良い友達がいるじゃないですか。この番組の後、ラーマンが早速シャールクを訪ねていました。

ちなみに、このC-ギャングの面々はちょいちょいSRK映画に端役で登場します。Om Shanti Omの屋外ロケのシーンでのディピカちゃんの相手役スターがラーマンで、アシスタント・ディレクター役がヴィヴェイクでした。若白髪のヴィヴェイク何となくロッド・スチュワート似で(上岡龍太郎とも思えるけど)スターパワーがあります。女の子にもてるのわかる気が…。


C gang

SRK on Eid インタビュー [Honesty & Courtesy]

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ラマダーン明けのお祭り、イードはイスラム教徒にとってのお正月のようなお祝いです。
シャールク家はディワリやクリスマスなど様々なお祭りを祝っていますが、今年は珍しく
大勢の映画スターたちを呼んで、かなり盛大にイードを祝いました。プレス会見もありま
した。子どもたちも大きくなってきたので、イスラムの文化をきちんと伝えたい気持ちが
強まったのだそうです。サングラスをかけていない、しかもクルタ姿のシャールクは何だ
か新鮮です。


印象深いイードは?
1:14
2つ思い出す。ひとつは、エジプトのファルファラで祝ったイード。”Suraj Hua Madham(家族の四季K3G)”の撮影をしていたときなんだけど、100km四方見渡すかぎり、誰もいない砂漠だった。50人ほどの撮影スタッフだけでね。そこでお祈りをしたのが印象深いよ。

"コーイー ナヒン ター कोई नहीं टा (だーれもいなかったんだ)"ってきばって言っているところが気に入っております。あと、ファルファラのとこで、「ふーふふぁ…」となっているところ(笑)

もう一つは、父との思い出だ。子どもの頃、イードになると叔父と父が二輪車に乗せて寺院でのお祝いに連れていってくれた。南デリーにあるイードガー(屋外の寺院)で、男たち皆で祈った。毎回サンダルを盗まれたり取り違えたりしてね。忘れられないよ、父さんが連れてってくれたってことがね。とてもなつかしい。だんだん年を取ってくると、こうした記憶が胸に迫ってくるようになる。

【13】シャー・ルク・カーン物語 [シャー・ルク・カーン物語まとめ]

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1941年に開校した聖コロンバはカトリックの男子校で、ブラザーと呼ばれる教育熱心で厳しい修道僧が教師を勤めていました。幼稚園から高校3年までの一貫教育で、眼を見張るような広い芝生の校庭があり、勉強にも課外活動にも充分な施設があります。ここに通ったシャールクにとって、今子どもたちを通わせているムンバイの学校は、あまりに狭苦しく感じるそうです。

シャールクはここで、運動に勉強にいたずらにいそしみ、13年間の伸びやかな学生生活を送りました。と言ってもブラザーたちは身だしなみにはやかましく、抜き打ちで爪や頭髪の検査がありました。シャールクは朝の集会で髪が長いと言われ、しばしば近くの床屋送りになりました。早朝、まだ店を開けてもいない目やにのついた露店営業の床屋に髪を刈られ、学校に戻ったのでした。場合によっては厳しい体罰もありました。低学年は手でお尻をぶたれ、中学年になると僧服の下に隠してある細いムチでぶたれました。高学年は手のひらにそのムチを受けさせられ、ミミズ腫れを作りました。

シャールクもしばしばムチの餌食になりましたが、それでも先生たちが大好きでした。幼稚園の担任のMiss.バラ、8年生の担任のMrs. ライ・シンは優しく、国語のMrs. ハダムは皆のあこがれの的でした。シャールクはハダム先生に気に入られたくて国語を一生懸命勉強し、先生が担当する弁論大会にも出場しました。このときにシャールクの有名なスピーチスキルが磨かれたのでしょう。

中でもシャールクに一番大きな影響を与えた先生は、高校の担任のエリック・デスーザ先生、通称ブラザー・エリックでした。ブラザーエリックは修道僧で、厳しくもありましたが話のわかるカッコイイ先生でした。クラスの仲間達としばしば先生の部屋に集まり、僧服を脱ぎ短パン姿でくつろぐ先生にニンブーパーニー(レモン水)をごちそうしてもらいながら、欧米の音楽を聞いたり、先生のギターに合わせて歌ったりしました。シャールクが洋楽に目覚めたのは先生の影響で、実は煙草を吸うようになったのもこの部屋でのことでした。

プラザーエリックはある時、実験室を新設するための資金活動として劇の上演を企画しました。「オズの魔法使い」を翻案したミュージカル「Wiz」です。演出はブラザーエリックで、シャールクは主演を演じました。本当は歌も自分で歌いたかったのですが、歌の上手な一級上のパラーシュ・センがシャールクの最初のプレイバックシンガーになりました。パラーシュは後に、インドで有数のロックバンドEuphoriaのリードボーカリストとして活躍しました。「Wiz」の上演は成功を納め、一ヶ月の興行を経て無事実験室が設けられたのでした。これはシャールクにとって最初の本格的な演劇活動でした。

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