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シャー・ルク・カーン物語まとめ ブログトップ
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【1】シャー・ルク・カーン物語 [シャー・ルク・カーン物語まとめ]

ある出来事で目が冴えてしまって眠れない一夜、新しい企画としてSRKのライフストーリー、題して「シャー・ルク・カーン物語」を始めることにしました。SRKの様々な伝記やインタビューを情報源としていますが、もはやどこで読んだか忘れてしまったものもあり出典は書かないことにします。カタカナ表記も一貫しておらず、本によって書いてあることが違い情報の精度も保証できません。「物語」ということで一ファンの戯言と思ってお読みくださいね。他の記事も差し挟みつつ、ブログの特性、私の気質を反映し、行き当たりばったりに進めていきます。気長にお付き合い下さいませ。

では、シャールクカーン物語 第一話、始まり始まり…
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シャー・ルクの父、ミール・タージ・ムハンマド・カーンは、190cmの長身に透き通る薄い色の瞳を持った、とても美しい男性でした。彼は1928年、ペシャワルのQissa Khawani Bazaar(語り手横丁)に住むパタン人(パシュトゥーン人)商人の第6子として生まれました。古くから交易で栄えたペシャワルは、当時イギリス領インド帝国の一部で、ミールは兄たちとともに若くして独立運動に加わり、統治政府の弾圧も受けました。兄たちは、せめて末っ子のミールだけでも学業に専念させたいと願い、弁護士の資格を取らせるため、デリー大学に送り出したのです。ミール18歳のことでした。

翌1947年、対英独立運動は実を結び、イギリスからの独立が決まったのですが、イスラム立国を求める人々の思いは強く、ガンジーやネルー等の反対を押し切り、ついにパキスタンとして分離独立することになりました。国境には、故郷を捨てて二つの国へと向かうヒンドゥー教徒とイスラム教徒の長い長い列が連なりました。ペシャワルはパキスタン側に位置し、ミールの一家はイスラム教徒です。しかし最後までインドとしてのまとまった独立を訴えていたため、分離独立後のパキスタン政府から睨まれ、長兄はその後何年も投獄されます。インド側にいたミールの名も兄との絡みで新政府のブラックリストに載っており、パキスタンへの入国、ペシャワルへの帰郷が認められないまま印パ戦争が勃発。こうして19歳のミールは故郷を失なってしまったのでした。
《続く》

タグ:両親 Meer Taj

【2】シャー・ルク・カーン物語 [シャー・ルク・カーン物語まとめ]

インド国内に残ったイスラム教徒はヒンドゥー過激派からの迫害を受けました。デリー大学で学んでいたミールも標的となり、ミールのクラスメートたちは、ミールを守るため寮でミールのベッドの周りに輪になって眠ったそうです。

21歳になったミールは弁護士の資格を得て大学を卒業しましたが、弁護士にはなりませんでした。独立闘士の一人として建国前後の政治活動に深く関わったのに、どんなに誘われても政治家にもなりませんでした。ミールは夢見がちで温厚、理想化肌であまりに誠実な人でした。ユーモアのセンスがあり、人に好かれましたが、内向的で詩人に相応しいような性格でした。人を出し抜いたりうまく立ちまわったりすることができなかったので、いくつか試みた事業にも成功しませんでした。

25歳頃、息子と同様映画俳優を目指してムンバイへと旅だったこともあります。ちょうど制作中だった大作映画Mughal-E-Azamのオーディションを受けたのです。政治活動をしていたときには、ミールの美しさに惹かれ政党の女性支持者が倍増したほどでしたが、映画のオーディションには合格せず、エキストラの列に並ぶように言われました。ミールは同郷の有名人カプール一族やディリップ・クマールらのコネに頼るにも、下積みの苦労を続けるにもあまりに誇り高かったのでしょう。いくつか映画出演を試みましたがかなわず、1年ほどムンバイで過ごしたあと、健康を損なってデリーに戻っていったのでした。

29歳のある日、友人とデリーの街を散歩していたミールは、インド門周辺で自動車の大事故に遭遇します。車は仰向けになり、這い出した運転手は後部席の客を残して逃げてしまいました。ミールと友人は大破した自動車から女性たちを助け出します。その一人が燃える瞳を持つ16歳の美少女ラティーフ・ファティマ・ベグムでした。
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《続く》

【3】シャー・ルク・カーン物語 [シャー・ルク・カーン物語まとめ]

シャールクの両親のラブストーリーは、あまりにもドラマチックで本当のこととは思えないほどです。事実は小説より、ボリウッド映画より奇なり。まあ、もしかしたら幾分は尾ひれが付いているかも知れません。ミール、語り手横丁出身だし…。とにかく、彼らの出会いは、伝えられているところによればこういうことだったらしいです。
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ミールは一目でファティマに恋をしてしまいました。助けだされたファティマは大怪我を負っており、すぐに病院に搬送しましたが輸血が必要とのこと。たまたまミールの血液型が適合し、彼は自分の血をファティマに提供しました。ファティマが危機を脱したのもつかの間、当時5人目の子どもを妊娠中だったファティマの母親も、娘の事故のショックで流産してしまい、何とミールはまたして献血をすることになったのです。

ファティマは、バンガロールの中流階級の家庭に育ちました。イスラム教徒で、Begumという女性の尊称を名前に持っているところから、家柄は良かったものと察せられます。彼女は進学のためにデリーに来ていましたが、すでに許嫁がいました。有名なクリケット選手のアッバス・アリ・バイグです。Baigも同じくイスラム教の首長格の名前で、二人の結婚は家柄の釣り合う同士の親たちによって決められていたのでしょう。一方のミールは、独立運動の闘士とは言え天涯孤独で、財産もちゃんとした職もありません。親たちは命の恩人の娘への求愛に戸惑いつつも反対し、「輸血をしてもらったから二人は家族になった。血族結婚になるから結婚は認められない」などという理由まで持ち出しました。

しかし、ファティマもこの背の高い美しくてロマンチックなミールを激しく愛するようになっていましたし、彼女の意志の強さは並大抵のものではありません。両親は、命を助けてもらった恩もあってやがて折れ、二人の結婚を認めたのでした。身分を揃えるために、ファティマは事故当時ミールと一緒に散歩をしていたシャー・ナワーズ・カーン将軍の形式的な養女となり、ミールに嫁ぎました。ファティマ18歳、ミール31歳のことでした。結婚式にやってきたお客は、色白のミールが花嫁以上に頬を染めたことを長く記憶しました。
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《続く》


【4】シャー・ルク・カーン物語 [シャー・ルク・カーン物語まとめ]

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ミールとファティマは夜と朝ほどに違っていました。背が高く穏やかで色白のミールと、小柄で肌も濃くはちきれそうなファティマ。外見ばかりではありません。シャールクによると、二人の違いはこういう風だったそうです。「母は例えばパーティに行くと、会場についた瞬間におしゃべりを始め、喧嘩をし、ジョークを飛ばしてたちまち輪の中心になってしまうような人だった。一方父は隅っこに座って自分なりに楽しみ、そっと帰っていくタイプだった。」
面白いのはシャールクの中に、両方の性質がきれいにブレンドされているということです。

さて、ついに結婚できたミールとファティマですが、経済的には楽ではありませんでした。当時のミールはトラック輸送の会社を営んでいました(映画Chalte Chalteは色んな意味でシャールクの父母を思い出させます)。ところが共同経営者に裏切られ、会社が立ち行かなくなってしまいます。その後何度もビジネスに失敗するミールですが、どんなに困窮しても裏切られても自分自身は誠実であり続け、人を信じることもやめませんでした。

裕福なエンジニアの家庭で不自由なく育ったファティマと、物欲も名誉欲もほとんどないミールの組み合わせです。事実上の生活を仕切っていたのは、一回り以上年下のファティマでした。ファティマはそんなミールを「誠実なる落伍者 (honest failure)」と呼びました。ちなみにシャールクはこれを「成功した落伍者(successful failure)」と言い換えています。事業家としては失敗したかも知れないけれど、おかげで子どもたちと過ごす時間はたくさんあり、大切な事をしっかり伝えることができたから、父親として人間として成功したというのです。

1960年には長女シェナーズ・ララ・ルークが誕生。そして5年後の1965年11月2日にはわれらがシャー・ルクが誕生します。それぞれ「高貴なチューリップの頬」、「王者の顔」という意味のこの名を、ミールはペシャワルで飼っていた馬の名前から取ったと言ったそうですが、これもミール流の冗談かもしれません。

シャールクは難産でした。生まれたとき首の周りにへその緒が幾重にも巻き付いていて、悪くすると命を落とす危険性もありました。無事に生まれたシャールクを見て看護婦さんは言いました。「この子にはきっとハヌマーンの祝福があるわ。」

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《続く》

【5】シャー・ルク・カーン物語 [シャー・ルク・カーン物語まとめ]

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幼いシャールクは見ての通り愛らしく、いたずらもするけれどおもちゃのピアノで何時間も一人で機嫌よく遊んでいたりもする子でした。3歳頃のある日、ファティマが用たしにでかけたとき、部屋に毒蛇が入ってきたことがあります。当時住んでいたラジンデル・ナガルは緑が多く、蛇が家屋に侵入してくることも珍しくなかったのです。ファティマが戻ったとき、シャールクは自分の周りにミルクをこぼし、蛇を近づけないようにして椅子に座っていました。

背筋を傷めたり、マラリアにかかったり、しょっちゅう犬に噛まれたり、小さい頃から病気や怪我は多かったようです。いたずらも盛大で、ファティマのプラスティックのバングルを溶かす実験をしたりもしました。寝るときには父親のミールがお話をしてくれます。物語よりも独立運動に関わった興味深い人物が登場する実話が多かったそうです。夏はミール以外の家族で、バンガロールの裕福なファティマの実家で過ごしました。親戚のおばさんたちは、音楽に合わせて歌ったり踊ったりするシャールクを見て、「この子は将来レディキラーになるわよ」と笑いました。

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シャールクは小さい頃から女の人達が大好きでした。本人の一番古い記憶は、ベランダの塀に腰掛けて、通りをゆくきれいなお姉さんに投げキッスをし、"Hey, sweetheart!(やあ、カワイコちゃん)"と言っていたことだそうです。ある日、17~8歳の娘さんがやってきて、応対に出たミールに言いました。

「お宅の息子さんが、私に投げキッスをしてくるので困ります。」

ミールは、近所に住む若者とでも間違えているのだろうと思って言いました。

「私の息子はほんの子どもですよ、お嬢さん。家をお間違えじゃないですか?」

そこへ風呂上りのシャールクがやってきて、「やあ、カワイコちゃん!」と言って、チュッと投げキッスをしたのです。ミールはあっけにとられました。

シャールクの投げキッスは絶品だし、ファンであろうと、ファストフードの女店員であろうと、女性にはいつも"sweetheart"とか"darling"と愛情深く呼びかけます。こんなに小さい頃からなんですね。

別の日には、怒った中年の女性がやってきました。

「お宅の息子さんが家の娘に声をかけるので困ります。」

ミールは応えて言いました。

「あなたのお嬢さんがお母さんと同じくらい魅力的なのだとしたら、私は息子を叱れませんね。」

女性は機嫌を直して帰って行きました。シャールクの当意即妙のウィットは確実に父親譲りです。

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《続く》

【6】シャー・ルク・カーン物語 [シャー・ルク・カーン物語まとめ]

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シャールクの子ども時代は幸せなものでした。利発で活動的なシャールクは両親に溺愛され、デリーの下町でのびのびと育ちました。経済的な余裕はありませんでしたが、父親からは誠実さと礼儀、ひねったユーモアを、母親からは愛情深さ、情熱、労働の尊さを学びました。ミールは運送会社の後、小さなカフェとガソリンスタンドを経営していました。英語、パシュトゥ語、ヒンディ語、ウルドゥー語など6ヶ国語を駆使してお客と交流する長身で博識なカフェオーナーは人気を呼び、このビジネスは珍しくうまくいきました。

父と母は物質的な豊かさに対する考え方に違いがありましたが、どちらも子どもたち、友人を大切にしました。彼らを知る者は、経済的に困窮していたのに、いつ訪ねても惜しみなく様々なごちそうがテーブルに並べられたことを語り草にしています。ファティマはかなり大きくなるまでシャールクのご飯を自分の手で混ぜて、口へ運んでやっていました。欲しがるものは出来る限り買い与えシャールクをとことん甘やかしました。

宗教教育に関してはそれほど厳格ではありませんでした。日に5回のナマーズを強制はされませんでしたが、イスラムの文化を大切にすること、ラマダーンやイードなどの行事の意味を教えられました。ミールは言いました。「イスラームとは寛容の心(tolerance)である」と。そして、数々の偉大なイスラム詩人の詩をシャールクに聞かせました。その内、シャールクも詩を作るようになりました。ミールは、幼いシャールクの吟じる詩を喜び、一つ残らず小さな手帳に記録しました。

家の近くで、祭りの日に、ラーマヤーナ(Ram Leela)を上演する場所がありました。シャールクは7歳頃から数年間、そこでラーマを助けるハヌマーンの手下の猿を演じました。飛んでくるバナナをキャッチしながら夜中の2時3時まで上機嫌に楽しみ、幕間には詩を読んだり、ものまねをしたりして皆をわかせました。これがシャールクの俳優としてのデビューパフォーマンスとも言えます。

シャールクは6歳から、聖コロンバ学園に通うようになりました。ここはアイルランド人の神父が運営するカトリックの男子校です。授業は英語で行われ、キリスト教の神学を教える授業もありました。シャールクは、父母からはイスラム教、地域の文化的にはヒンドゥー教、学校ではキリスト教を学びとって行きました。ミールがこれをよしとしたのです。彼はシャールクにこう言いました。「様々な言語で様々な宗教について学ぶと良い。色々と見聞きして学び、他の宗教への敬意を持った上で、自分がイスラム教徒であることに誇りを持ちなさい。」
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《続く》


【7】シャー・ルク・カーン物語 [シャー・ルク・カーン物語まとめ]

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ミールの教育はあくまでもスピリチュアルなものでした。お金が丸っ切り無かったわけではなくても、おもちゃを買ったり動物園に連れて行ったりはしませんでした。例えば、交差点のループの真ん中に連れて行って、何時間も色々な車を見せたりしました。

「シャールク、あれをご覧。こうして色々なものを観察するんだよ。お前が父さんと同じように観察することができたら、こうして見ている何でもない物が、ワクワクするほど面白いということが分かるはずだ。」

まだ幼いシャールクに、小さな5パイサ硬貨をくれて一人でバスに乗せ、自分は少し遅れて付いて行ったこともありました。

「これを車掌さんに渡して、10個めの停留所で降りるんだ。大丈夫。父さんが後ろにいるからね。」


小さなシャールクにとって、これがどんなに胸弾む冒険だったことでしょう。シャールクは父親から、日常の些細なものをよくよく観察すること、それらをあたかもゲームのように楽しむことを教わりました。このことは彼の演技の力にも役立ったと思います。シャールクの物真似のうまさには定評があります。普段のインタビューを見ていても、誰それがこう言ったという話をするとき、その人物の声色や仕草までも写しとっていて、彼の観察力の鋭さを示しています。TVのクイズ番組KBCをやったときに、市井の人々をよく観察する機会があり、これがRab Ne Banna Di JodiでのSuriの役作りに大きく役立ったと言っています。一方でミールはこのようにも言いました。

塩や胡椒ばかり見つめていては、月に行こうという発送は生まれない。

ミールは毎朝シャールクのためにミルクを温めてやっていました。ある時からそれをやめ、代わりに早朝二人で牛乳屋さんまで散歩するようになりました。シャールクはそこで、蛇口から出る絞ったばかりのミルクを手でうけて飲みました。

夜には、飼っている犬がわんわん鳴くと、シャールクは通りに飛び出しました。角まで走っていくと、背の高いミールが仕事から帰っくるのを出迎え、ひったくるように父のカバンを持つと、二人で家まで帰るのでした。

優しくて紳士で大きくて賢いミールをシャールクは尊敬し、「お父さんの様になりたい」と心からそう願っていました。

ファティマはもっと現実的でした。ある日彼女は1年生のシャールクが、ヒンディ語の書取で2点を取ってきたのを見て言いました。

「10点満点取ってきたら映画に連れて行ってあげるわ。」

シャールクはヒンディ語に力を入れていませんでした。学校で学ぶ英語の方が上等でかっこいい気がしていたのです。でもファティマのこの言葉がシャールクに火をつけ、以来彼はヒンディ語に熱を入れ始め、高学年になってからはヒンディ語で優等賞を取るまでになったのです。

小さなシャールクが、生まれて初めての映画館で、ファティマのバッグの上にちょこんと座って見た映画は、後に彼と共に何本も名作を撮ることになる名匠ヤーシュ・チョープラ監督のJoshilaでした。

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《続く》

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