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SRKのディナーショー [Intelligence & Eloquence]

Dinner With SRK in New Jersey
シャールクは自社映画の資金や彼の肩にぶら下がっている大勢の人を食べさせるため、お金を目的とした色々な副業をします。インド映画の俳優としてTVのコマーシャルに出たのもSRKが最初だし、大金持ちの結婚式でショーをしたりもします。儲け主義だのなんだのずいぶんあれこれ言われたそうですが、今ではスターは皆やっています。

人のためにただの仕事もしょっちゅうするSRKですが、あからさまにお金のための仕事もする。TVのゲーム番組Jor Ka Jhatkaなんかは、明確にRa-Oneの資金稼ぎじゃないでしょうか。ただ目的がなんであれ、有償であれ無償であれ、与えられた仕事に常にベストを尽くすSRKの姿勢は変わりません。

以下はちょっと古いんですが、KANK撮影中にニュージャージーで開かれたディナーショーの一部です。参加費500ドルとかそういう高額なものでした。こういうディナーショーに参加するとどんな風なんだろうとかねがね思っていらした方に。

1:45
There are some rules here tonight. I know we are all having fun and a few drinks down. There are two rules here. Nobody's to call me small. I take it personally. I'm a Pathan Oh, we have some Pathans here, Masha Allah! (Pashtun) They are not real Pathan, they don't know Pashto! いくつか約束事があります。今夜は皆で楽しく過ごすし、ちょっと飲みものなども出るけれど、二つのルールを守って欲しい。まず、誰も僕のことを「小さい」って言わないこと。これ言われると気を悪くするよ。僕は(血の気の多い)パタン人(パシュトゥン人)だからね。(歓声)おや、そこにもパタン人がいるらしい。恵み深きアッラーよ。(パシュトゥ語で少し話す)あいつら偽物だ。パシュトゥ語ができない。

But Salam Aleikum everyone or my Pathan friends. If you come on stage or I meet you at backstage, we'll do the pictures and stuff, I'll meet you all. No MAN is allowed to kiss me on my lips. I know you love me. ("We love you~") Girls are OK. Pathans No! とにかく、サラーム・アレイクム皆さん、そしてパタン人の友よ。これからステージや楽屋で写真を撮ったりして、僕は皆さん全員と会うつもりだけれど、男性は僕の唇にキスしないこと。いいね。もちろん君たちも僕を愛してくれていることは知っているけど…(愛してる~の歓声が女性から)。女の子はOKだよ! パタン人はダメッ!

I'm glad you guys are here. I'm glad that I'm here. I've been working here in NY for the last two and half months now. I'm making a film which is called "Kabhi Alvida Naa Kehe Naa", KANK for short. It's a wonderful film. Made by my friend Karan Johar. I have some wonderful actors working with me. Mr. Amitabh Bachchan, we'll say a little prayer for him. He's not well and Insha Allah he will be well soon and performing. You can't have the film industry without Mr. Amitabh Bachchan. 皆さん来てくれて、僕も来れてとても嬉しいよ。僕はここ二ヶ月半ほどニューヨークで仕事していたんだ。Kabhi Alvida Naa Kehenaという映画を撮影している。縮めるとKANKだ。素晴らしい映画だよ。友人のカラン・ジョハールの作品でね。素晴らしい俳優たちと共演している。アミターブ・バッチャン氏とか。そうだ、僕達ここで彼のために祈ろう。体調を崩しておられるので。インシャアッラー、一日も早く良くなって演じられますようにってね。アミターブ・バッチャン氏なしの映画界はありえない。

3:15
I've been doing the films for the last fifteen years. And what I've tried to do in the films is mostly to make as many people as I can to smile, to understand the life is about hope, life is about goodness, sometimes life is about throwing women off the terraces(laugh). But that's not to be taken seriously. ここ15年間ずっと映画の仕事をしている。僕が心がけているのは、一人でも多くの人を笑顔にさせるってことだ。そして理解してもらいたいと思っている。人生とは希望であり、善きことであり、時には女の子をベランダから投げ落とすことだって(笑)【Baazigarの映画ネタ】。これは冗談だけど。


It's about feeling women well, it's about loving children. I make films so that elders will like it. I make films so that kids like it. I'm trying to educate in my own small way. 女性をしっかり感じ取ることだったり、子どもを愛することだったり。僕はお年寄りにも喜んでもらえる、子どもたちにも喜んでもらえる映画をつくる。自分なりのささやかなやり方で学びを提供出来ればと願っている。


Little kids who are growing up here, parents telling me, or in America, or in England away from country , whether Pakistan, Bangladesh, Sri Lanka or India, that "our children learn a bit of our language, some of our culture, some of the things that we hold very dear like family values from the films I do. And my son has been learning how to make out women from the films I do, (laugh) Which is good for kids, they should learn. ここで子どもを育てている親たち、ここだけじゃないアメリカ、イギリスなどに住んで、母国例えばパキスタンやバングラデシュ、スリランカ、インドなどを離れている人にとって、僕達の映画から子どもたちは言葉を少し覚えたり、文化やその他僕達が大切にしているもの、例えば家族愛なんかも学んでいるんだって。僕の息子は僕の映画で、女の子の口説き方を学んでいるしね。(笑)いいことだよ。子どもだって知っとくべきだ。


笑わせ、感動させ、納得させ…と、緩急自在のSRKの話術は本当に何時間聞いていても飽きません。

【1】シャー・ルク・カーン物語 [シャー・ルク・カーン物語まとめ]

ある出来事で目が冴えてしまって眠れない一夜、新しい企画としてSRKのライフストーリー、題して「シャー・ルク・カーン物語」を始めることにしました。SRKの様々な伝記やインタビューを情報源としていますが、もはやどこで読んだか忘れてしまったものもあり出典は書かないことにします。カタカナ表記も一貫しておらず、本によって書いてあることが違い情報の精度も保証できません。「物語」ということで一ファンの戯言と思ってお読みくださいね。他の記事も差し挟みつつ、ブログの特性、私の気質を反映し、行き当たりばったりに進めていきます。気長にお付き合い下さいませ。

では、シャールクカーン物語 第一話、始まり始まり…
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シャー・ルクの父、ミール・タージ・ムハンマド・カーンは、190cmの長身に透き通る薄い色の瞳を持った、とても美しい男性でした。彼は1928年、ペシャワルのQissa Khawani Bazaar(語り手横丁)に住むパタン人(パシュトゥーン人)商人の第6子として生まれました。古くから交易で栄えたペシャワルは、当時イギリス領インド帝国の一部で、ミールは兄たちとともに若くして独立運動に加わり、統治政府の弾圧も受けました。兄たちは、せめて末っ子のミールだけでも学業に専念させたいと願い、弁護士の資格を取らせるため、デリー大学に送り出したのです。ミール18歳のことでした。

翌1947年、対英独立運動は実を結び、イギリスからの独立が決まったのですが、イスラム立国を求める人々の思いは強く、ガンジーやネルー等の反対を押し切り、ついにパキスタンとして分離独立することになりました。国境には、故郷を捨てて二つの国へと向かうヒンドゥー教徒とイスラム教徒の長い長い列が連なりました。ペシャワルはパキスタン側に位置し、ミールの一家はイスラム教徒です。しかし最後までインドとしてのまとまった独立を訴えていたため、分離独立後のパキスタン政府から睨まれ、長兄はその後何年も投獄されます。インド側にいたミールの名も兄との絡みで新政府のブラックリストに載っており、パキスタンへの入国、ペシャワルへの帰郷が認められないまま印パ戦争が勃発。こうして19歳のミールは故郷を失なってしまったのでした。
《続く》

タグ:両親 Meer Taj

【2】シャー・ルク・カーン物語 [シャー・ルク・カーン物語まとめ]

インド国内に残ったイスラム教徒はヒンドゥー過激派からの迫害を受けました。デリー大学で学んでいたミールも標的となり、ミールのクラスメートたちは、ミールを守るため寮でミールのベッドの周りに輪になって眠ったそうです。

21歳になったミールは弁護士の資格を得て大学を卒業しましたが、弁護士にはなりませんでした。独立闘士の一人として建国前後の政治活動に深く関わったのに、どんなに誘われても政治家にもなりませんでした。ミールは夢見がちで温厚、理想化肌であまりに誠実な人でした。ユーモアのセンスがあり、人に好かれましたが、内向的で詩人に相応しいような性格でした。人を出し抜いたりうまく立ちまわったりすることができなかったので、いくつか試みた事業にも成功しませんでした。

25歳頃、息子と同様映画俳優を目指してムンバイへと旅だったこともあります。ちょうど制作中だった大作映画Mughal-E-Azamのオーディションを受けたのです。政治活動をしていたときには、ミールの美しさに惹かれ政党の女性支持者が倍増したほどでしたが、映画のオーディションには合格せず、エキストラの列に並ぶように言われました。ミールは同郷の有名人カプール一族やディリップ・クマールらのコネに頼るにも、下積みの苦労を続けるにもあまりに誇り高かったのでしょう。いくつか映画出演を試みましたがかなわず、1年ほどムンバイで過ごしたあと、健康を損なってデリーに戻っていったのでした。

29歳のある日、友人とデリーの街を散歩していたミールは、インド門周辺で自動車の大事故に遭遇します。車は仰向けになり、這い出した運転手は後部席の客を残して逃げてしまいました。ミールと友人は大破した自動車から女性たちを助け出します。その一人が燃える瞳を持つ16歳の美少女ラティーフ・ファティマ・ベグムでした。
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《続く》

【3】シャー・ルク・カーン物語 [シャー・ルク・カーン物語まとめ]

シャールクの両親のラブストーリーは、あまりにもドラマチックで本当のこととは思えないほどです。事実は小説より、ボリウッド映画より奇なり。まあ、もしかしたら幾分は尾ひれが付いているかも知れません。ミール、語り手横丁出身だし…。とにかく、彼らの出会いは、伝えられているところによればこういうことだったらしいです。
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ミールは一目でファティマに恋をしてしまいました。助けだされたファティマは大怪我を負っており、すぐに病院に搬送しましたが輸血が必要とのこと。たまたまミールの血液型が適合し、彼は自分の血をファティマに提供しました。ファティマが危機を脱したのもつかの間、当時5人目の子どもを妊娠中だったファティマの母親も、娘の事故のショックで流産してしまい、何とミールはまたして献血をすることになったのです。

ファティマは、バンガロールの中流階級の家庭に育ちました。イスラム教徒で、Begumという女性の尊称を名前に持っているところから、家柄は良かったものと察せられます。彼女は進学のためにデリーに来ていましたが、すでに許嫁がいました。有名なクリケット選手のアッバス・アリ・バイグです。Baigも同じくイスラム教の首長格の名前で、二人の結婚は家柄の釣り合う同士の親たちによって決められていたのでしょう。一方のミールは、独立運動の闘士とは言え天涯孤独で、財産もちゃんとした職もありません。親たちは命の恩人の娘への求愛に戸惑いつつも反対し、「輸血をしてもらったから二人は家族になった。血族結婚になるから結婚は認められない」などという理由まで持ち出しました。

しかし、ファティマもこの背の高い美しくてロマンチックなミールを激しく愛するようになっていましたし、彼女の意志の強さは並大抵のものではありません。両親は、命を助けてもらった恩もあってやがて折れ、二人の結婚を認めたのでした。身分を揃えるために、ファティマは事故当時ミールと一緒に散歩をしていたシャー・ナワーズ・カーン将軍の形式的な養女となり、ミールに嫁ぎました。ファティマ18歳、ミール31歳のことでした。結婚式にやってきたお客は、色白のミールが花嫁以上に頬を染めたことを長く記憶しました。
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《続く》


【4】シャー・ルク・カーン物語 [シャー・ルク・カーン物語まとめ]

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ミールとファティマは夜と朝ほどに違っていました。背が高く穏やかで色白のミールと、小柄で肌も濃くはちきれそうなファティマ。外見ばかりではありません。シャールクによると、二人の違いはこういう風だったそうです。「母は例えばパーティに行くと、会場についた瞬間におしゃべりを始め、喧嘩をし、ジョークを飛ばしてたちまち輪の中心になってしまうような人だった。一方父は隅っこに座って自分なりに楽しみ、そっと帰っていくタイプだった。」
面白いのはシャールクの中に、両方の性質がきれいにブレンドされているということです。

さて、ついに結婚できたミールとファティマですが、経済的には楽ではありませんでした。当時のミールはトラック輸送の会社を営んでいました(映画Chalte Chalteは色んな意味でシャールクの父母を思い出させます)。ところが共同経営者に裏切られ、会社が立ち行かなくなってしまいます。その後何度もビジネスに失敗するミールですが、どんなに困窮しても裏切られても自分自身は誠実であり続け、人を信じることもやめませんでした。

裕福なエンジニアの家庭で不自由なく育ったファティマと、物欲も名誉欲もほとんどないミールの組み合わせです。事実上の生活を仕切っていたのは、一回り以上年下のファティマでした。ファティマはそんなミールを「誠実なる落伍者 (honest failure)」と呼びました。ちなみにシャールクはこれを「成功した落伍者(successful failure)」と言い換えています。事業家としては失敗したかも知れないけれど、おかげで子どもたちと過ごす時間はたくさんあり、大切な事をしっかり伝えることができたから、父親として人間として成功したというのです。

1960年には長女シェナーズ・ララ・ルークが誕生。そして5年後の1965年11月2日にはわれらがシャー・ルクが誕生します。それぞれ「高貴なチューリップの頬」、「王者の顔」という意味のこの名を、ミールはペシャワルで飼っていた馬の名前から取ったと言ったそうですが、これもミール流の冗談かもしれません。

シャールクは難産でした。生まれたとき首の周りにへその緒が幾重にも巻き付いていて、悪くすると命を落とす危険性もありました。無事に生まれたシャールクを見て看護婦さんは言いました。「この子にはきっとハヌマーンの祝福があるわ。」

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《続く》

SRK@超善玉・極悪玉 [Acting & Performing]

今年2本の作品が公開されるSRKですが、2本ともアクション映画ながら、一方は超善玉のG.One、もう一方は極悪非道のDonという両極端の役どころなのが面白いです。



0:25
That's very ironic actually. You know in a same year, the goodest good guy, G.one means good one. So I'm playing the goodest good guy who kids will like and families will like. He's like a super hero. You know super heroes are supposed to be classically conventional and good people. So he's a good person. On the side of good not evil. On the other hand I'm playing the world of worst man, Don. The evilest of evil. 実際皮肉だよね。一年にさ、究極的な正義の味方…、G.oneというのは、つまりGood Oneという意味だからね。子どもたちや家族連れに愛される善人中の善人を演じる。スーパーヒーローって訳だ。スーパーヒーローってのはそもそも古典的なまでに正統派の善人だろ。悪をくじく正義の味方だ。一方では世にも邪悪な人物、Donも演じている。こっちは悪人中の悪人って訳さ。

"good"の最上級は"the best"なので、"the goodest" というのは本来文法的には正しくない訳ですが、使い古された"the best"なんかでは表しきれない、非日常性、特別さを強調したいとき、あえてこういう風に言ったりもします。"The goodest good guy"って語感も楽しいですね。似た表現に"the bestest"なんていう表現もあります。最高の中の最高っていう感じ。言葉って生き物ですね。

タグ:Ra.One Don2

【5】シャー・ルク・カーン物語 [シャー・ルク・カーン物語まとめ]

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幼いシャールクは見ての通り愛らしく、いたずらもするけれどおもちゃのピアノで何時間も一人で機嫌よく遊んでいたりもする子でした。3歳頃のある日、ファティマが用たしにでかけたとき、部屋に毒蛇が入ってきたことがあります。当時住んでいたラジンデル・ナガルは緑が多く、蛇が家屋に侵入してくることも珍しくなかったのです。ファティマが戻ったとき、シャールクは自分の周りにミルクをこぼし、蛇を近づけないようにして椅子に座っていました。

背筋を傷めたり、マラリアにかかったり、しょっちゅう犬に噛まれたり、小さい頃から病気や怪我は多かったようです。いたずらも盛大で、ファティマのプラスティックのバングルを溶かす実験をしたりもしました。寝るときには父親のミールがお話をしてくれます。物語よりも独立運動に関わった興味深い人物が登場する実話が多かったそうです。夏はミール以外の家族で、バンガロールの裕福なファティマの実家で過ごしました。親戚のおばさんたちは、音楽に合わせて歌ったり踊ったりするシャールクを見て、「この子は将来レディキラーになるわよ」と笑いました。

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シャールクは小さい頃から女の人達が大好きでした。本人の一番古い記憶は、ベランダの塀に腰掛けて、通りをゆくきれいなお姉さんに投げキッスをし、"Hey, sweetheart!(やあ、カワイコちゃん)"と言っていたことだそうです。ある日、17~8歳の娘さんがやってきて、応対に出たミールに言いました。

「お宅の息子さんが、私に投げキッスをしてくるので困ります。」

ミールは、近所に住む若者とでも間違えているのだろうと思って言いました。

「私の息子はほんの子どもですよ、お嬢さん。家をお間違えじゃないですか?」

そこへ風呂上りのシャールクがやってきて、「やあ、カワイコちゃん!」と言って、チュッと投げキッスをしたのです。ミールはあっけにとられました。

シャールクの投げキッスは絶品だし、ファンであろうと、ファストフードの女店員であろうと、女性にはいつも"sweetheart"とか"darling"と愛情深く呼びかけます。こんなに小さい頃からなんですね。

別の日には、怒った中年の女性がやってきました。

「お宅の息子さんが家の娘に声をかけるので困ります。」

ミールは応えて言いました。

「あなたのお嬢さんがお母さんと同じくらい魅力的なのだとしたら、私は息子を叱れませんね。」

女性は機嫌を直して帰って行きました。シャールクの当意即妙のウィットは確実に父親譲りです。

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《続く》

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