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【6】シャー・ルク・カーン物語 [シャー・ルク・カーン物語まとめ]

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シャールクの子ども時代は幸せなものでした。利発で活動的なシャールクは両親に溺愛され、デリーの下町でのびのびと育ちました。経済的な余裕はありませんでしたが、父親からは誠実さと礼儀、ひねったユーモアを、母親からは愛情深さ、情熱、労働の尊さを学びました。ミールは運送会社の後、小さなカフェとガソリンスタンドを経営していました。英語、パシュトゥ語、ヒンディ語、ウルドゥー語など6ヶ国語を駆使してお客と交流する長身で博識なカフェオーナーは人気を呼び、このビジネスは珍しくうまくいきました。

父と母は物質的な豊かさに対する考え方に違いがありましたが、どちらも子どもたち、友人を大切にしました。彼らを知る者は、経済的に困窮していたのに、いつ訪ねても惜しみなく様々なごちそうがテーブルに並べられたことを語り草にしています。ファティマはかなり大きくなるまでシャールクのご飯を自分の手で混ぜて、口へ運んでやっていました。欲しがるものは出来る限り買い与えシャールクをとことん甘やかしました。

宗教教育に関してはそれほど厳格ではありませんでした。日に5回のナマーズを強制はされませんでしたが、イスラムの文化を大切にすること、ラマダーンやイードなどの行事の意味を教えられました。ミールは言いました。「イスラームとは寛容の心(tolerance)である」と。そして、数々の偉大なイスラム詩人の詩をシャールクに聞かせました。その内、シャールクも詩を作るようになりました。ミールは、幼いシャールクの吟じる詩を喜び、一つ残らず小さな手帳に記録しました。

家の近くで、祭りの日に、ラーマヤーナ(Ram Leela)を上演する場所がありました。シャールクは7歳頃から数年間、そこでラーマを助けるハヌマーンの手下の猿を演じました。飛んでくるバナナをキャッチしながら夜中の2時3時まで上機嫌に楽しみ、幕間には詩を読んだり、ものまねをしたりして皆をわかせました。これがシャールクの俳優としてのデビューパフォーマンスとも言えます。

シャールクは6歳から、聖コロンバ学園に通うようになりました。ここはアイルランド人の神父が運営するカトリックの男子校です。授業は英語で行われ、キリスト教の神学を教える授業もありました。シャールクは、父母からはイスラム教、地域の文化的にはヒンドゥー教、学校ではキリスト教を学びとって行きました。ミールがこれをよしとしたのです。彼はシャールクにこう言いました。「様々な言語で様々な宗教について学ぶと良い。色々と見聞きして学び、他の宗教への敬意を持った上で、自分がイスラム教徒であることに誇りを持ちなさい。」
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《続く》


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