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【10】シャー・ルク・カーン物語 [シャー・ルク・カーン物語まとめ]

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「ねえ君たち、医者は私が癌だと言うのだよ」

僕は癌がどんな病気かを知っていた。癌で亡くなった人の話も聞いたことがあった。ただ、自分の家族とその病気を関連づけて考えたことがなかった。父さんが癌だなんて、まったく考えられなかったんだ。人は皆、自分の身に起こるまで本当にはそのことに考えが及ばないものだ。


長引く口内炎に悩まされ、医者を訪れたミールは、進行した口腔癌だと診断されたのでした。ペシャワルから戻ってわずか数週間後のことでした。口の傷は日ごとにミールを苦しめました。口の中が腫れ上がり、出血し、身体が曲がりそうな痛みで、徐々に物が食べられなくなりました。やがて話すこともできなくなり、コミュニケーションは筆談になりました。

入院したミールの病室は4人部屋でした。シャールクは毎日病院を訪ねました。シェーナーズは女子大学の寄宿舎に入っており、休みの日になると父を見舞いました。シェーナーズは20歳で、父親を誰よりも愛していました。父譲りのスラリとした体つき、白い肌に透き通った瞳を持ち、夢見がちなところも父親そっくりでした。シャールクとシェーナーズにとって、ミールは文字通り見上げるような存在でした。今は少し具合が悪いけれどもやがて克服すると固く信じて疑いませんでした。

病室のドアを開けると、父はシャールクと目を合わせ、話せなくなった分豊かになった表情で、目玉をくるりと回して見せました。「やれやれ、きついね。だが何とかやっているよ。」そう言っていました。

時には4つのベッドの内の一つが空になっていることがありました。それは、ともに病気と闘っていた人がついに力尽きて肉体を離れたことを意味していました。ミールのベッドが空になっていたときには、思わずドキッとしましたが、そんなとき、父は放射線療法でベッドを離れていたのでした。ミールは顔面への放射線治療にも関わらず、豊かな黒々とした髪を失うことはありませんでした。

治療費は高額で、1本5000ルピーの注射を月に10本以上射たなければなりませんでした。費用をなんとかを捻出するため、ファティマは昼も夜も働きました。民生委員として貧困層や青少年の相談を終えると、義弟と協働で経営するレストランで仕事をしました。

こうした努力の甲斐もなく、ミールの頑健なパタン人の肉体は、半年ほどかけて少しずつ滅んでいきました。筆談のペンを持つこともできなくなってからは、ジェスチャーで意思を伝えました。シャールクもジェスチャーで返しました。静かな病室で二人は悲しいジェスチャーゲームをしました。

そんなになっても、シャールクの希望は消えませんでした。父はスーパーヒーローだから、奇跡がきっと起きると思っていました。実際ミールは驚くべき生命力で回復の兆しを見せ、一時帰宅が許されたのでした。久しぶりに家に帰り、髭を剃ってアイスクリームまで食べてシャールクを安心させました。

次の日ミールは病院に帰って行きました。ミールの病院生活はすでに日常となってきており、一時帰宅で安心したこともあり、その日シャールクは見舞いに行きませんでした。

その夜のことです。午前2時半、ファティマは病院からの連絡で起こされました。ミールが亡くなったという知らせでした。ファティマはシャールクを起こし、「お父さんが会いたいそうよ」とだけ言いました。手伝いの人にフィアットを運転してもらって病院に行きました。

遺体安置室の中央でミールは一人で眠っていました。身体はすでに氷のように冷たく、シャールクはすごい勢いで父親の足をこすり、温もりを取り戻そうとしました。優しくからかうような光が消えた目、耳からぽとりと落ちた血の雫…このとき目にした父の姿はシャールクの記憶にいつまでも焼きつきました。

夜が明けて一旦帰宅することになりました。運転を頼んだ人はもう帰ってしまっていたので、シャールクはごく自然に運転席に座り、母を乗せて家路につきました。しばらくしてファティマは今気づいたように言いました。「あなたいつから運転ができたの?」 シャールクは答えました。「たった今だよ。」

シャー・ルク・カーン、14歳と10ヶ月。思春期の只中の、重すぎる通過儀礼でした。


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