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【12】シャー・ルク・カーン物語 [シャー・ルク・カーン物語まとめ]

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ミールが亡くなり、シャールクは詩を書くことをやめました。喜んで書き留めてくれた父がいなくなり、書きたい気持ちが無くなったのです。父の死という大きな衝撃から、シェーナーズは立ち直ることができませんでしたが、シャールクはやがて悲しみを乗り越えていきました。このことは第一に母ラティーフ・ファティマという稀有な女性の存在が大きいと言えます。

ミールの闘病生活で、家族のささやかな資産は文字通りすっからかんになりました。ファティマは子どもたちに教育を受けさせ、生活を営んでいくために、昼も夜もがむしゃらに働き続けました。ファティマのすごいところは、日々の暮らしを「女手一つでなんとか…」という悲壮感漂うものではなく、喜びと笑いに満ちた活気あるものにしていたことです。

ファティマおばさんは、素敵な人でした。面白くて、陽気で、お茶目で、エキセントリックで、可愛くて。いつもくつろいだ様子で、笑ったり、人をからかったり、そして何しろものすごく働き者でした。(シャールクの旧友デヴィヤ)


ファティマはシャールクを溺愛しており、父親のいないことが不利にならないよう、息子のために何でもするという人でした。後年シャールクが大学に車で通いたいと言った時も、入学前には間違いなく玄関先に小さな車が届いていました。当時のインドで自家用車というのはかなり贅沢なもので、ファティマには無理な出費だったかも知れませんが、ファティマはシャールクの願いを何でも叶えてやりたかったのです。

もう一つシャールクを支えたのは、聖コロンバでの学校生活でした。シャールクはまさに今のシャールクのように、何事にも全力で取り組み、負けることが嫌いだったので、スポーツでも学業でも優秀な成績を納めました。特にスポーツには夢中で、サッカー、クリケット、ホッケーの3つのチームでいずれもキャプテンをつとめていたのです。男子校で男子に人気のスポーツ3つともでキャプテンになるなんて、そんなことが可能なのかと思いますが、実際シャールクはそういう存在だったらしいのです。体格は父ではなく母に似て小柄でしたが、人並み外れた運動神経を持っていました。特にホッケーでは、フィールドのどこからでもゴールを決められると豪語していたほどの才能で、将来は国際的な選手になることを夢見ていました。
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